プロレスラー三沢光晴、死去

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2009年6月13日のGHCタッグ選手権に挑戦中に、ノアの社長でもあるプロレスラー三沢光晴が、バックドロップを受け意識不明になり死去しました。

王者組である斎藤彰俊バックドロップを受け動けなくなり、そのまま救急車で病院に搬送されましたが、残念ながら帰らぬ人となりました。

三沢さんがプロレスの試合で死ぬなんて…という記事によれば、三沢光晴は普段と違いふらつき気味で、試合中に頭をふっていたということです。

事故当時の様子が次のように説明されていました。

王者組の斎藤彰俊選手(43)のバックドロップを食らった直後に動かなくなった。異変を察知したレフェリーが試合を止め、王者組のレフェリーストップ勝ちで試合が終わると、リング上にトレーナーらが駆け込んで口々に「社長! 社長!」と叫んだという。観戦していた広島市内の会社員の男性(32)によると、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージや自動体外式除細動器(AED)を使い蘇生(そせい)措置を施したが、三沢選手は動かなかった。

救急隊が駆けつけた時にはリングドクターが「頸椎(けいつい)損傷の疑いがある」と説明し、その場で心肺停止が確認され、病院に搬送されたということです。

ノア・三沢さん死す…プロレス試合中頭部強打によれば、当初はレフェリーの「動けるか」という声に「動けない」と答えたようですが、すぐに意識を失ったということです。

三沢光晴は2009年3月に日本テレビの地上波放送の打ち切りが決まったころから「体調が悪い」と漏らしていたそうで、心労も重なっていたのかもしれません。

2代目タイガーマスクとしても活躍した三沢光晴ですが、まさかこのような形でリングを去ることになるとは思いもしませんでした。

三沢さん、福田選手以来男子2度目の悲劇によれば、過去にも試合中に頭を強打するなどして亡くなっている選手がいます。

プラム麻里子(JWP) 97年8月15日、広島大会の試合中に後頭部を強打し昏睡。翌16日に急性硬膜下血腫と脳挫傷による急性脳腫脹で29歳で死去。リング上の事故がもとでプロレスラーが死亡するのは、日本初だった。

福田雅一(新日本)  00年4月14日の宮城・気仙沼大会の試合中に動きが鈍くなり、相手のフライングエルボーをかわせずに倒れた。意識不明の状態となり、19日に急性硬膜下血腫のため27歳で死去した。

馳浩もバックドロップで昏睡状態に。

馳浩(新日本) 90年6月12日の福岡大会で、バックドロップを避けようとして側頭部から落下。試合後シャワーを浴び、セコンドに就こうとした時に昏睡(こんすい)状態に陥った。一時心肺停止となったが、リングドクターにより蘇生(そせい)した。

筋書きがあったとしても、リング上では本当にハードなことをやっているんだと、改めて思い知らされます。

遺志を継ぐために、ノアは予定通り興行を開催する予定ということです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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追悼ゴング「ミサワ」コールに涙のファン

三沢選手最後の試合で対戦相手の1人だった斎藤彰俊(43)はこの日の試合後、リングサイドに飾られた遺影に向かって土下座。「(三沢)社長はまだまだやりたいことがあったのに。おれがあんなことをしちゃって。どんな重い十字架でも背負う」と涙ながらに話した。

三沢さん死亡でノアがコメントを発表

プロレスラー三沢光晴選手(46)が13日の試合中に相手の技をかけられて頭を強打し、死亡した件で所属するノアが以下のコメントを発表した。

三沢さん81年デビュー、2代目タイガー

◆同8月21日 浦和競馬場正門前駐車場特設リングでデビュー。越中詩郎に敗北。

「社長!社長!」リングにノア選手の悲鳴

全日本では川田利明、小橋建太、田上明らと「四天王」と呼ばれた。得意技のエルボーや、相手を垂直に落とすような投げ技など、容赦ない技の応酬でファンの度肝を抜いた。馬場社長の死去後に社長を引き継いだが、方針の違いなどから全日本と決別。新団体のノアを旗揚げした。

徳光アナ「取り乱してしまい申し訳ない」

「三沢選手は受け身の名人でした。それが受け身で亡くなった。無念だったと思います。悔しいけど冥福を祈らざるをえません。彼はプロレス界のリーダー。今後プロレス界がどうなってしまうのか心配でなりません。私はこの映像を今初めて見ました。取り乱してしまい申し訳ありませんでした」

搬送病院前に三沢さんファン続々集結

三沢光晴選手(本名同じ)の訃報(ふほう)を知ったファンが、救急搬送された広島市内の病院に続々と集った。死亡が確認された13日午後10時10分から約2時間が経過した14日午前0時すぎから、同病院の時間外出入り口付近に集まり始めた。

ノア三沢光晴さん急死、試合中に頭を強打

目の前で観戦していた市内の会社員の男性(32)によると、倒れてから救急車で運ばれるまで10分以上、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージや自動体外式除細動器(AED)を使い蘇生(そせい)措置を施したが、三沢選手は全く動かなかった。

プロレスラーは危険と背中合わせ

人気プロレスラー三沢光晴さん(46)が13日、広島市で試合中に頭を強打し死亡した。屈強を誇るレスラーといえども、同様のリングでの事故は起きており、格闘技特有のスリルと危険とは背中合わせだ。

「日本のレジェンド」三沢さん急死、英でも報道

英大衆紙「ザ・サン」の公式サイトではスポーツコーナーのトップページで報道。「日本のレスリング・レジェンド、三沢光晴がリングで死んだ…」の書き出しで始まる記事と、GHCベルトを巻いた三沢さんの写真を掲載している。

悲しみ乗り越え…ノア6月ツアー予定通り開催

13日に三沢光晴社長が急死したプロレスリング・ノアは14日朝、同日の福岡・博多スターレーン大会など、発表済みの6月シリーズ「Southern Navig.’09」を予定通り開催する、と公式サイトで発表した。

受け身の名手が…  スポニチ記者が悼む

リングではポーカーフェースの威圧感を醸し出していたが、リングを降りるとちゃめっ気のある人でもあった。カラオケでは笑顔全開でアニメソングを熱唱するのが恒例。記者が流行の歌を歌ったら、すぐさまリモコンで消され「みんなが知ってるものを歌えよ」としかられた。

三沢さんに追悼のゴング…試合会場で「ミサワ」コール

三沢さんが亡くなった試合でタッグを組んでいた潮崎豪「ああいうことがあって、きょう(14日)は試合ができないかと思った。でも、あんなことがあったからこそ、選手が一丸となってやっていかないといけない」

三沢が死んだ…ノア試合中バックドロップで頭から落下、リングで昏倒

複数の関係者によれば一時は心臓が動いたというが、搬送先の広島大学病院の集中治療室での懸命の救命措置のかいもなく、一度も意識が戻らぬまま午後10時10分に帰らぬ人となった。救急車に付き添った百田光雄副社長(60)が最期をみとったという。

三沢光晴さん死去、バックドロップ受け病院搬送も

この間、リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いたという。

プロレスラーの三沢光晴さんが死亡 試合中に頭強打

目の前で観戦していた市内の会社員の男性(32)によると、倒れてから救急車で運ばれるまで10分以上、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージや自動体外式除細動器(AED)を使い蘇生(そせい)措置を施したが、三沢さんは全く動かなかった。

浜口京子も哀悼「すごく優しい方だった」

日本協会の福田富昭会長は「選手と経営者の両方の立場で、心身とも疲労していたのかも」と話し、父がプロレスラーの北京五輪女子72キロ級銅メダリスト、浜口京子選手(ジャパンビバレッジ)は「すごく優しい方だった。ご冥福をお祈りします」と目を伏せた。

蝶野ショック…三沢さん急死に「驚きと悲しみ」

新日本の蝶野正洋(45)は14日未明に自らのブログ「蝶野王国」を更新。「驚きと悲しみにたえません。御家族、関係者御一同、三沢光晴ファンの皆様に、心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします」とつづり、同世代のライバルの死を悼んだ。

後輩・川田「信じられない。信じたくない」

三沢さんの突然の死に、栃木・足利工大付高と全日本プロレスの後輩、川田利明は「信じられないとしか言いようがない。今でも信じたくない」と話した。

レスリング関係者が三沢さんに哀悼の意

高校時代に対戦したという日本協会の木名瀬重夫コーチは「背が高くかっこいい選手だった。戦ったことが自慢だったのに…」と故人をしのんだ。

武藤敬司、三沢さん急死に「驚きと深い悲しみ」

ブログには「プロレスリング・ノア三澤光晴氏の思いがけない訃報に、驚きと深い悲しみをおさえることができません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と、驚きを隠せない様子が綴られている。

三沢さん急死に他団体レスラーがブログで哀悼の意

2001年以来、数度の対戦がある永田裕志(新日本)は、「最後にお会いしたのが今年の1月3日東京ドームホテルでの記者会見前に挨拶した時でした。体調はかなり悪そうだったがどんな試合でも相手の技を正面から受け止めるファイトは翌日のドーム大会でも健在だった」と在りし日の三沢さんのタフネスとプロ意識の高さを称えた。

過去にもリングで死亡事故…危険と背中合わせ

また1999年3月にも女子プロレス団体「アルシオン」の選手=同(23)=が福岡市で行われた試合中に頭部を強打、同市内の病院に入院していたが、同年4月9日、急性硬膜下血腫のため死亡した。

川田、永田らレスラー仲間ショック…三沢光晴さん急死

初代タイガーマスクとして活躍した格闘家の佐山サトルさんは「プロレスの結晶が、また消えてしまった」と語る。昨年の12月に2代目である三沢さんと初めての「タイガー対決」が実現。「今から思えば、それがせめてものこと。2人とも年をとって体も重くなってしまっていたが、でもまだまだやれると確認し合ったばかりなのに…」

健介ショック「ブログは当分控えさせて」

13日の試合で三沢光晴選手が亡くなった。健介も同じリングにいた。計り知れないショックを受けたことだろう。「ファンの皆様、大変申し訳ございませんが、何卒ご理解頂きたく宜しくお願い申し上げます。株式会社 健介オフィス」

プラム麻里子も…過去のマットでの死亡事故

00年4月19日・福田雅一 試合中に頭部を強打、宮城・気仙沼市内の病院で開頭手術を受けたが5日後に死亡。27歳。現役男子レスラーのリング上での死亡事故は日本マット界では初めてだった。

ノア・秋山が欠場、GHCヘビー級王座返上

GHCヘビー級王者・秋山は同大会で力皇と防衛戦を行う予定だったが、腰椎椎間板ヘルニアのため欠場し同王座を返上。代わって力皇と三沢さんの最後のパートナーだった潮崎が同王者決定戦を行う。