【動画】社長室がエレベーターになって上下していた不思議な靴会社「バチャ(Baťa)」 #チェコへ行こう #cz100y #Zlin #ズリーン

【動画】社長室がエレベーターになって上下していた不思議な靴会社「バチャ(Baťa)」

ズリーン(Zlin)という街に移動し、靴の博物館を訪れるスケジュールに関して何の疑いも持っていなかったのですが、訪れてみて驚愕。

靴会社の話ではあったのですが、靴はメインテーマではなく、その「バチャ(Baťa)」という会社の創業者の作り上げたシステムが色々と凄いという話に一同は驚愕したのでありました。

なお日本では「バチャ(Baťa)」と呼ばれていますが、現地だと発音は「バキャ」に近いようです。

「バチャ(Baťa)」は、第二次世界大戦前に世界で一番大きかった靴のメーカーです。1894年に創業しました。当時はズリーンの村の人口は3,000人しかいなかったのに、第二次世界大戦で4万人、現在は8万人にまで膨れ上がっています。

「バチャ(Baťa)」は最初は小さな会社で、先祖代々が普通の家で靴を作っていました。それをうまく大きくしたのが、トマーシュ・バチャという人物です。

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1899年に靴を運ぶために鉄道ができました。会社が小さい時は社員は歩いて通っていましたが、会社が大きくなると近隣の村などから通う人が出てきて、それでトマーシュ・バチャは社員寮のような建物を建築します。

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かつて社員寮だった住宅

1923年、トマーシュ・バチャが市長になります。当時はズリーンの人口は2万人くらいでした。しかし、1932年にはトマーシュ・バチャが飛行機の事故で亡くなり、息子がいたが小さかったので義理の弟であるヤン・アントニーン・バチャが新しくオーナーになりました。

第二次世界大戦の際、1944年に爆弾で工場が破壊されましたが、これはアメリカの爆撃機でもアメリカの靴のプロデューサーがチェコのバキャを壊そう‥‥と言っていたらしいという噂話があるそうです。それくらい靴業界では「バチャ(Baťa)」の存在感が大きかったという逸話です。

第二次世界大戦終、チェコは共産主義になり「バチャ(Baťa)」は国営化されました。1945年に工場が国営化された時には海外にオフィスがあったので「バチャ(Baťa)」という会社がなくなったわけではなく、チェコの工場だけが国営化されロンドンがヘッドクオーターになりました。今はスイスのルザンにヘッドクオーターがあります。

もともと村がありトマーシュ・バチャが街を成功させたことを、共産党から見ると悪いキャピタリストに見えていたそうです。そのため国営化後に会社名はおろか、ズリーンという町の名前まで変えられたそうです。

「バチャ(Baťa)」はスビットという会社になり、2006年に倒産しました。

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今回の訪問ではまず「バチャ(Baťa)」の会社のヘッドクオーターがあった場所を案内して頂きました。第二次世界大戦までは、ここがヘッドクオーターでした。

当時は高いビルはなく、アメリカで勉強してきた人に、ヤン・アントニーン・バチャが建築させたものだそうです。1935年に建築を開始し、1938年に建築が終わりました。16階建て、77mの建物は、当時はチェコで一番高く、中央ヨーロッパで2番目の高さを誇ったということです。

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窓が開かないためレールで洗浄マシンが移動する

150〜200人くらいが壁のないワンフロアで働いていましたが、これは当時は珍しいオープンオフィスだったそうです。これもまた効率を求めた「バチャ(Baťa)」の精神なのでしょう。

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トマーシュ・バチャはファンクション様式として、見た目より機能性を重視しました。それが建造物にも現れていて、全ての建物が6.15mごとに柱があります。

全て同じパターンで作ると、壊れた時に修理しやすいといったメリットがあることから、ズリーンでは普通の家でも学校でも同じパターンとして採用されている規格なのだそうです。

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「バチャ(Baťa)」は社長室にも効率化を求めました。

ガイドツアーに申し込むと、実際にこのエレベーターに乗ることができます。料金はわずか1ユーロですので、これは体験しない手はありません。

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「バチャ(Baťa)」は従業員のために映画館や病院などもつくり、企業の城下町としてズリーンを栄えさせていくのですが、日本のトヨタのような話だと感じました。

他にも近くにあるミュージアムを訪れると分かるのが、次のようなことです。

・ヘンリーフォードをみて大量生産を真似した(自分の仕事をしながら前の人に仕事をチェックすることでボリューム、スピードが4倍になった)

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・1923〜5年くらいから国営化された後も2006年までシステムは変わらなかった

・299など終わりが9になる値付けがバチャの値段(バチャのマーケティング)

・バチャの考えた保険システムが現在のチェコの保険システムのベースになっている

「バチャ(Baťa)」はチェコ国内に留まらずに海外進出もするわけですが、海外にエキスポートしたものは工場ではなくそのシステムだった、と言われているそうで、起業家として非常に優秀な人物だったことが分かります。

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奥が隣町

隣町のオトロコビッツも「バチャ(Baťa)」が作り、レザー、布、薬などを取り扱う街ができているそうです。プラハからオトロコビッツまで電車で3時間半、約300km。ウィーンまで200kmとのことです。

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これは「バチャ(Baťa)」のタイムカードシステムが博物館の入場券で模されているものなのですが、驚いたのはこのカードが本人の証明となり、支払いに利用することができたいうことなのです。まさに現代のクレジットカードのシステムが、チェコの特定の街の中だけですが、早い段階で実現したことに驚きました。

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初期の「バチャ(Baťa)」の靴

最初は「靴の博物館を見学しに行く」という心づもりだったのですが、よくよく話を聞くと「バチャ(Baťa)」という会社を世界的に成長させた起業家の話となっていました。

20世紀も半ばから、従業員の生活を優先し、街を作り上げた人物がチェコの田舎町にいたということに本当に驚愕しました。アイデアマンであり、シンプルな機能美をこよなく愛するトマーシュ・バチャ。

もしかすると、21世紀ならばスティーブ・ジョブズに匹敵するような哲学的な経営の優秀さを兼ね備えた人物だったのかもしれません。

>>Czech Republic – トマーシュ・バチャ、靴職人、企業家、先駆者

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