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富山県が越中と呼ばれ、岐阜県が飛騨・美濃と呼ばれた頃からお互いに密接に繋がっていたのをご存知でしょうか。富山湾で水揚げされたブリは通称「ぶり街道」を通じて岐阜、さらにその先へ運ばれました。飛騨の木材は富山の井波彫刻など伝統工芸の発展の背景にもなりました。

こうして富山と岐阜が密接に繋がっていたのは、ユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)に指定された、両県の伝統行事からも見ることができます。行政としては区分けされた地域ですが、それよりも遥か昔から繋がり、脈々と受け継がれてきた文化が、そこにはありました。

2017年秋に、富山県と岐阜県が実施するプレスツアーに参加し、そのことをしみじみと感じてきました。現代では県単位で考えがちな観光も、ユネスコ無形文化遺産を巡るという視点に立つと、富山から岐阜へ、そしてまた岐阜へ戻るという、そんな軽やかな旅も検討することができるようになります。

東京から飛騨へアクセスしようと思うと、名古屋経由よりも実は富山経由の方が時間的に近い場合があります。普通は富山と岐阜はわけて観光を検討すると思いますが、ユネスコ無形文化遺産を巡りたいのであれば、まさにこのコースはうってつけ、なんです。

“県”単位ではなく、文化“圏”で考えることで、新しい旅のスタイルが見えてくるかもしれませんよ!

ということで、プレスツアーで訪問したネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)をご紹介します。

八尾町の曳山

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八尾町は8つの尾根があることから八尾町と呼ばれるようになったそうです。

八尾といえば「おわら風の盆」を思い起こす人が多いと思いますが、それは比較的、新しいもので、それ以前から続く曳山文化もあるそうです。明治以前は曳山祭、1630年代から続きます。

もともとおわらは300年続く伝統。明治から昭和にかけて古い民謡、どこにでもある民謡をリニューアルし「おわら風の盆」とした。浄瑠璃や義太夫をたしなんだ人が改良。日本舞踊の家元を招いて振り付けしてもらったりもしました。

おわらを改良した結果、広まった。言い換えると、八尾町にはおわらを改良できるほどの力があったということになります。

曳山はお金がかかるため、財力必要が必要です。八尾町は養蚕で栄え、豊かな町人文化を育みました。廃れそうな民謡も改良して「おわら風の盆」としました。

曳山も年に1回だけ組み立て1日で解体していたものを、30年前に展示館ができ、3台だけ常時展示できるようになったということです。

八尾町は芸を育むのが当たり前の町だったそうです。博識、学識を競い合う文化もあったのではと言われており、例えば曳山に描かれたこのシーンは中国の故事のあれだよね、と当てられたら勝ちということもあったそうです。

平均80軒の町内で、自分たちの神様を使ってそれを祀って乗り物を作ったのが曳山です。前田家から雛人形の像をもらい、それを花山というスタイルで引き回したりしていました。それを見ていた隣町、隣町と作っていって曳山文化となったそう。現在は八幡社の祭礼となっています。

こんなカフェで一休みしたり、宿泊するのもオススメ。

八尾町のお土産もかわいい!

「おわら風の盆」の帯が黒い理由。衣装を町で揃えるのに帯が買えないという時代があった。それならばどの家庭にもある帯にしよう、ということで黒になったそう。死者を弔うのではなく金銭的な理由です。そして、誰でも分け隔てなく踊れるように、顔を深く隠しているのだとか。

飛騨古川の古川祭

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飛騨古川の古川祭は曳山のことを屋台と呼んでおりました。

飛騨古川の伝統的な住宅は、伝統様式を保ちながら新機軸を打ち立てています。この方法は昭和29年頃にある大工さんが発案し広まったもので、新町家と呼ばれます。アルミサッシ、空調設備などに対応したもので、富山や岐阜から注文があります。

飛騨の町並みは大工技術のショールームで、大工さんによって違う雲形肘木も街歩きの見どころのひとつ。

飛騨の夜は飛騨牛で。

そして飛騨高山に宿泊したら、やはり朝市に足を運ばなくては!

これを目当ての観光客も多いと聞きます。活気があるし、食べ歩きも楽しいですね。

飛騨高山の高山祭

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高山祭の実物屋台を常設展示している施設、高山祭屋台会館で屋台を見学することができます。屋台は年3回の入れ替えが実施されます。展示に関しては高山祭屋台会館へようこそからご確認ください。

古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。

飛騨では税ではなく、匠を送っていた、と。これは600年、延べにして7〜8万人が都で働いたことになるということです。ここで培われた技術が、脈々と受け継がれています。

江戸時代には天領として江戸の文化が入ってきていました。江戸の進んだ左官の技術が飛騨に。飛騨の大工、鍛冶屋の技術と花開いたということです。

春の山王祭と秋の八幡祭をあわせて「高山祭」といいます。飛騨高山の風物詩であり、その起源は16世紀後半から17世紀と言われています。

城端の曳山祭り

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飛騨から富山県に戻って訪れたのが、南砺市の城端です。城端の曳山祭もユネスコ無形文化遺産。城端は加賀藩城下で絹織物で財を成していました。

城端はモンサンミッシェルのような寺内町で、信仰心が篤い人が多いと言われています。別院が450年前にできましたが、当時から機織りがあったと言われており、別院とともに城端に機織り技術がきたのでは、とのことでした。

福光の糸を横糸に、縦糸に五箇山や高山の糸を使っています。横糸がビコビコ。今でもビコビコを使い織っているとのことでした。

ユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)なら富山岐阜へ

ということで、もしユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)に興味があるならば、富山飛騨でまとめて訪問するのがオススメです。いずれも日本酒が美味しいのは言うまでもありませんし、富山なら富山湾の海の幸、飛騨なら飛騨牛、そして朝市が最高です!

>>富山・飛騨(岐阜)の旅 | うみ、やま、ひと 物語に出会う祭りの旅へ