カンニング竹山、沈痛の緊急会見 「奇跡が起こればいいのに」という記事より。

竹山は、中島さんが11月中旬に肺炎が再発したとの知らせを受けてからは、「もうだめか」と思いながらも、「奇跡が起こればいいのに」と仕事に励んでいたという。

20日に亡くなったカンニング中島の相方、カンニング竹山が記者会見しています。

沈痛な表情で「正直、残念な気持ちでいっぱい」と打ち明け、2週間前にやり取りしたメールが最後の連絡になったと明かしたということです。

「戦友、夫婦みたいなもの…」カンニング竹山さん会見によれば、闘病中も出演料を分け合っていたことに関しては「小学校からの同級生で、芸能界に入ってつらい事が続いた時もお互いに助け合ってきた。二人でまた漫才をすることを目標にやってきたが……」と語ったということです。

カンニング竹山「昨日はしこたま泣いた」によれば「昨日(20日)はしこたま泣きました。この2年、一緒に頑張り、正直、つらい状態が続いていた。残念な気持ちでいっぱい」と語ったということです。

24日に所属事務所であるサンミュージックの社長が葬儀委員長となり、東京中野の宝仙寺で告別式が行われるということです。

自分と年齢も近く、ましてや小さいお子さんもいるので、心が痛いです。心よりご冥福をお祈りいたします。

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“カンニングの竹山”としてコンビ名守る

闘病中も「カンニングは二人三脚」と、竹山はギャラを折半した。実際、中島さんが病床でネタを考え竹山に提供したこともあったという。関係者によると、高額な治療費は所属事務所が負担していたという。

これからもずっと「カンニング竹山」

相方を失い、1人取り残されてしまったが、「(芸名は)あえて本名に戻す必要もない。変えずにいきたい」と話し、コンビ名は残して「カンニングの竹山」を名乗り続ける。それが永遠の友情の証だ。

生涯「カンニング竹山」…中島は家族であり戦友であり夫婦だった

竹山は「自分の息子がこの世に生をなし、奥さんがしっかり支えてくれたのは、中島にとって救いだった」と話した。この日は悲しみをこらえ、テレビとラジオの仕事を1本ずつこなした。

カンニング竹山、会見で心境吐露「1人でも名前変えない」

「いろいろなことを隠しながらになり申し訳なかったです。残念な形になりましたが、中島本人も一生懸命闘い切りましたので、最後の姿を応援していただけたらうれしい」

竹山「奇跡祈っていた」中島さん急逝で悲しみの会見

中島さんの闘病中も、ギャラは折半してきた。同社の相澤正久社長(57)は、「カンニングは2人で築き上げたもの。表は竹山、裏でネタをつくったり、アドバイスをしたりするのは中島というように、二人三脚でやってきたから、ギャラもそのように支払っていた」と明かした。