「ブランドとしての家族」にアイデンティティーを見出す父親という記事より。

映画が制作されている間、奥田家の食卓の上にはいつも執筆途中のシナリオが開いて置いてあり、奥さんである安藤和津さんやふたりの娘さんがそのシナリオに勝手にどんどん朱を入れたり、台詞を付け足したりしていった。

奥田瑛二が監督した「長い散歩」という映画のシナリオは、こんな風に作られたんだそうです。

誰かが直したものを他の誰かが直したり、ときに議論が交わされたり。これって何かに似ている。まるで「Wikipedia」みたいですね。

でも、そうやって出来上がったシナリオが、モントリオール国際映画祭でグランプリ以下3部門を独占したのだそうです。

パパが自分の仕事を家族にオープンにし、誰かが特権的な権威を持つでもなく、ヨコ型のコミュニケーションによって、よりよい作品へと仕上げていく。たいていの場合、こういったアプローチは、作品の質を低めてしまうことになるのだが、冒頭に書いたように、歴史ある賞を受賞する作品にしっかりと仕上げたわけだから、奥田監督の手腕も含め、お見事というしかない。

いやー、本当にお見事ですね。

一つのものを家族で作り上げるという作業もさることながら、そこに会話が生まれ、きちんと議論されていたというのが凄いのかも。

そしてこのコラムは、40歳前後の「J世代」と呼ばれる父親たちの話になっていきます。

今、新しい家族を志向する父親たちは、自らの家族に、海外の高級ブランドに勝るとも劣らない「ブランド」としての価値を持たせたいと考えている。

自分も“父親”ですから、いろいろと考えさせられてしまいますね。家族がブランドかぁ。どうなんだろう。どうしても、そのブランドの陰で犠牲になるものに思いを馳せてしまうのですが、そんなことはないのかな。