三沢さん死因「頚髄離断」、遺体は東京へという記事より。

事故から一夜明けた14日、広島県警中央署が三沢さんの直接の死因を明かした。「関係者から夜中に事情を聴取した。診断名は頸髄離断。事件性はありません」。タッグマッチで対戦した斎藤彰俊のバックドロップを浴びて、頭部を強打した際に首に大きな衝撃を受けたようだ。リングに倒れた直後にはわずかに意識があったが、すぐに心肺停止状態に陥った。

バックドロップを受け心肺停止状態となり、亡くなったプロレスラー三沢光晴ですが、死因が「頚髄(けいずい)離断」であったことが発表されました。

「頚髄」というのは初めて聞いたのですが、頸髄損傷とはによると「脊髄の一番上の部分(脳から一番近い部分)を『頸髄(けいずい)』といい、ちょうど首の骨の中に」あるものだそうです。

「頚髄」は「事故による首の骨の脱臼・骨折」で傷つけることがほとんどで、損傷すると身体が動かなくなったり、皮膚の感覚がなくなるのだそうです。

三沢光晴も最初は「動けるか」という問いに「動けない」と答えていたようなので「頚髄離断」による麻痺がおこっていたということなのですね。

「実は三沢さんは首に頸椎(けいつい)損傷という爆弾を抱えていた上に、最近は肩、腰、ひじにも痛みがあった」ということで、満身創痍の状態でした。

三沢さん、死因は頸椎損傷に伴う頸髄離断という記事によれば「頸椎がずれたことで中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていた」という説明になっています。首の骨がずれ、中の神経が切れた、ということです。

かつては自身もバックドロップから心肺停止状態になったことのある馳浩は「受け身をうまく取れなかったときのバックドロップの怖さは、身をもって知っています。でもそれが、一番受け身を取れるはずの三沢さんだとは…」とコメントしています。

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三沢さん死因は頸椎の損傷

同署によると、検視の結果、頸椎がずれたことで中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていた。三沢さんは相手選手がかけたバックドロップで頭から落ちて心肺停止となった。広島中央署は、この技で頸椎がずれた可能性が高いとみている。

三沢さんの死因は頸髄離断だった

三沢さんはリングに倒れ、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージなどの蘇生措置を施したが、搬送先の広島市内の病院で13日午後10時10分に死亡が確認された。

彰俊、涙の土下座「社長、すみません」…三沢光晴さん急死

一睡もできずに、自分を責め、悩み抜いた。「このまま去ることも考えた」。引退の2文字が頭を占めた。だが、生前の三沢さんを思い出し、思い直した。「社長は弱音を吐くと怒る人だった。引退は自己満足でしかない」。リングに立ち続ける。「泣いてる場合じゃない。どんなに重くて大きい十字架でも背負って、前進していく」

新日本でも三沢さんの殉職に悲しみと衝撃

新日本・菅林直樹社長(44)は全日本プロレスも含めた業界大手の3団体で、人気復活へ「真の意味での協調路線を」と話し合っていたことを説明。「ライセンス制度で健康管理をしっかりやろうと話し合いを重ねていた矢先で…」とうつむいた。

新日も協力 プロレス界合同で追悼興行開催へ

あくまでノアの意向を尊重するが、同社長が「(現在は)3団体が協調路線を取り、業界を盛り上げていこうとしている」と語るように実現の可能性は高い。

新日参戦中 菊地&青木も「信じられない」

日本後楽園大会にノアから参戦している菊地と青木も沈痛な表情を隠せなかった。青木は目に涙を浮かべながら「実感はないですね。信じられない」と絶句。「最後にお会いした時に頑張ってこいと言われた。その言葉を考えながらリングに上がりたい」と話した。

「オレがあんなことを…」彰俊、涙の土下座

試合後は「(三沢さんは)体がボロボロでも立ち向かっていった。1人の人間としてやり通すことを学んだ」と話すと涙。リングサイドに置かれた三沢さんの遺影に一礼し、「ベルトを獲ったからには、(ノアを)いろんな意味で良くしていきたい」と遺志を継ぐことを誓った。

三沢さん無言の帰京、近親者で密葬へ

近親者だけで密葬を行う予定で、百田副社長は「(ファンとの)お別れの場はつくらないといけない」と追悼イベントの開催を示唆した。また、世田谷区内の三沢さんの自宅では真由美夫人が集まった大勢の報道陣に応対。「(主人は)ここには帰って来ないことになっています。近所の方の迷惑にもなるので取材はやめてください」と気丈に話した。

武藤、報道陣避け練習に没頭

「三沢光晴氏の思いがけない訃報に、驚きと深い悲しみをおさえることができません」と、ブログでコメントするにとどまった。前夜に急逝を知って以降、ショックから近い関係者以外の連絡は一切絶った。

秋山が涙ながらに王座返上「ふがいない」

三沢さん追悼の10カウントゴングの後、涙ながらにあいさつ。「ふがいなさと申し訳なさでいっぱいです。GHCチャンピオンとして三沢社長に最高の試合を見せたいが、できません。今日は(代役に)潮崎を指名させていただきました。三沢社長の遺志を継いで一生懸命頑張ります」とファンに向かって話した。

ファイヤー福沢アナ目潤ませ「無念」

訃報(ふほう)を伝えるニュースの最後に目を潤ませながら「誠実な人柄で、実に多方面から人望の厚い方でした。私も公私にわたって大変、お世話になりました。無念であります。謹んでご冥福をお祈りいたします」とコメントした。

ハンセン氏「記憶なくしたあのエルボー」

ハンセン氏は、三沢さんの得意技のエルボーを今も思い出すという。「あの凄まじさが、わたしのあごに残っている。昨日のようにね。特に92年の夏のタイトルマッチは忘れられない」

初代虎佐山聡「シングル対決の夢が…」

訃報(ふほう)は4代目の新日本のタイガーマスクから聞いたという。2代目だった三沢さんについて「僕の動きがタイガーマスクというイメージだったため、マネをしなくてはいけなかったので大変だったと思う。僕が三沢選手のマネをしろと言われてもできない」と話していた。

川田「信じられないし、信じたくない」

全日本時代の三沢さんのライバルで、現在ハッスルで「モンスターK」として活躍する川田利明は14日、ハッスル広報を通じ「今でも信じられないし、信じたくない」とコメントした。

永田「三沢さん、早すぎるよ」

「三沢さんも(試合で自分の)パートナーだった橋本さんも亡くなった。若い。早すぎるよ」と絶句した。

初代タイガーが藤波が長州が無念の思い語る

長州、佐山と組んでタッグ戦に出場した藤波は、07年9月にタッグ戦で三沢さんと対戦しており「今度はシングル戦と約束した矢先。夢だったね」と悔しがった。

ノアは続く!小橋が潮崎が三沢魂継承誓った

K―1や総合格闘技が人気を集める中、プロレス人気は低迷。テレビ中継は打ち切りが相次ぎ、観客動員でも苦戦を強いられた。だからこそ激しい試合を見せなければならないと、三沢さんは社長業と掛け持ちでリングに上がり続けた。

三沢さんを悼む 坂口征二「きちょうめんな男だった」

責任感が強く、きちょうめんな男だった。社長業もあってケガもしっかりと治せなかっただろうし、心身的にもたまっていたものがあったのでは。ノアを立ち上げて、まとめたのだから立派だった。

棚橋弘至「死と近いところにいるのをあらためて認識した」

若手の頃の自分も正面から受け止めてくれた人でした。これまではぐらかしていた分、プロレスは死と近いところにいるのをあらためて認識しました。

大仁田氏「同じ釜の飯…つらい」

「すごい筋肉質の新人が入ってきたなと思った。若手同士で練習した時、ずばぬけてうまかった。ドロップキックなんか、先輩のおれが教えてもらったぐらい。その時点から、将来は上に立っていく選手だと思った」