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40歳になって半年ほど経ちました。特に40歳になって何かが変わるということはありませんし、40歳になるという感慨もありませんでした。30歳も40歳も、通過点の一つと感じています。

なんでこんなことを改めて書いているかというと、次のような記事を読んで共感したからです。

説明しよう。40歳になるとは、こういうことだっ! - Six Apart ブログ

学生時代の40歳のイメージは、「落ち着きと教養に満ち、パリッとスーツを着こなすビジネス紳士。夜は行きつけのバーで紫煙をくゆらせつつ、バーボンをチビチビやり、週末はクラウンでゴルフ場へ」的なのでした。マンガキャラでいえば、課長島耕作とかランバ・ラル※です。

“大人”って、そういうものだと思ってましたよね。現実的には、ほとんど成長していない自分がいたりして驚きます。

子供の頃、父親が同僚のことをあだ名で呼んでいるのに驚いたのを覚えています。「大人もあだ名を使うんだ!」

ただ、「自分は年齢にふさわしい成長をしているのか?」、「自分はオトナになりきれていないのではないか?」といった、精神年齢が実年齢に追いついていないかも感がもたらす心のアンバランスさは、どうやら多数の方が抱く感情のようです。なので、あまり気に病む必要はないと思います。

ぶっちゃけ、中学とか高校くらいの気持ちを引きずっているな、なんて思うことがありますし、周りを見渡してみても、そういうものなのだろう、と思っています。

ただし、30代と比べて大きく違うと感じるのは、体力の衰えです。

サイクリングとサッカーが趣味なのでよく分かるのですが、持久力、瞬発力共に落ちてきます。 それ以上に痛感するのは、疲労回復力ですね。30代のときはぐっすり寝れば1日で回復していたのが、1.5〜2日かかるようになります。

元より持久力とは無縁の生活をしているのですが、疲労回復力の衰えはしみじみと感じます。

学生時代は半日も寝てればなおった二日酔いが、最近は一日は必要ですし、場合によっては三日酔いに突入することもあります。

体力の衰えを深酒で感じるというのは全く持って成熟していない幼稚な大人のやることでありますが、まあ、そういうものなので致し方ありません。

まあでも、呑む量が減っているにも関わらず、コロリと二日酔いになってしまう訳ですから、本当に体力は落ちているのでしょう。あかん。

縁起の悪い話ですが、「死」をリアルに意識する機会が増えるでしょう。自分より年下の知人や親戚縁者、もしくは著名人が亡くなるのを見聞きし、なんとも言えないやりきれない気持ちになるのもこの時期です。

2007年に母を亡くしてから、死への意識は常に頭の決まった場所にあります。59歳で亡くなったので、自分の人生もあと20年くらいかもしれない、とも思います。

平均寿命からすれば人生の折り返し地点かもしれませんが、そんなにうまくいくはずありません。恐らく、2/3地点くらいのはず。

なーんて、ちょっと暗いことを考えながらも楽しく生きていられるのは、やはり家族がいるからに他なりません。上の子は10歳、もうすぐ5年生です。下の子は6歳。もうすぐ20年の付き合いになる妻も、まあ今でも愛しい存在です。

守らなくてはならないものがあるからこそ、小さなことでクヨクヨして立ち止まっていられないですし、守らなくてはならない小さな存在と共に、自分の人生も歩み直している、という感覚を持っています。

子供を育てることで、もう一度、人生を一から歩み直しているのです。赤ちゃんと遊んで赤ちゃんに戻って、幼稚園児と遊んで幼稚園児に戻って、小学生と遊んで小学生に戻って。ああ、そうそう、こんな風に、こんな遊びをしたよな、って。

あと20年と言わず30年でも40年でも家族と共に過ごしたいのですが、20年くらいと思って全力疾走していた方が、だらしない自分にはちょうど良いかもしれません。

おかげさまで次男は明日、卒園式を迎えます。たまには父親がどんなことを考えているか、ブログに残しておいても酔いかな、なんて。酔いじゃないよね、良い。