「土俵の鬼」初代若乃花、花田勝治さん死去という記事より。

大相撲の元横綱で「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日、腎細胞がんのため都内の慶大病院で死去した。

「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱で初代若乃花の花田勝治氏が、亡くなりました。82歳でした。

現役時代は1メートル79、105キロ。小さな体ながら、下半身の筋肉は盛り上がり、左四つで胸を合わせての豪快な上手投げ、呼び戻し(四つに組み、相手をいったん一方方向に引っ張り込み、反動を利用して反対方向にひねり倒す)といった大技、切れ味鋭い外掛けや切り返し…。3時間もほかの力士にけいこをつけて土俵へたたきつける姿、傑出した集中力は「鬼」と異名された。

元大関貴ノ花(元二子山親方)の兄で、若乃花、貴乃花の叔父でもありました。

貴乃花親方は「残念に思います。残されたわれわれが伯父の遺志を継承していくべきだと、あらためて思いました」とコメントしています。

名前を受け継いだ元横綱の花田勝氏は「花田家の相撲人生はまさに初代若乃花から始まりました。伯父がいたからこそ、父をはじめわたしたちは相撲で頑張ることができました」とコメントしています。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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貴乃花親方は「(花田氏が)いいけいこをしているなあと思っていただければ」と話し、「昭和を代表する横綱であり、数多くの弟子も輩出された。われわれは弟子の育成という点を継承していきたい」とさらなる精進を誓った。

貴乃花親方誓った「土俵の鬼」の魂を継承…花田勝治さん死去

貴乃花親方は国民的人気を誇った大関・貴ノ花を父に持ち、平成に入り兄の横綱・三代目若乃花(花田勝さん)と共に若貴時代を築いた。花田家の栄光は、言うまでもなく伯父の勝治さんが原点にある。伯父が父に伝え、そして自らは父の指導で横綱に昇進し今は協会の理事を務める。

「土俵の鬼」死す、初代若乃花82歳がん…戦後の相撲界支える

土俵の鬼が逝った。午後5時25分。若乃花が天国に旅立った。午後7時43分に遺族、関係者が涙を浮かべ見守る中、花田さんの遺体は入院先の病院から黒いワンボックスカーに乗り杉並区内の自宅へ戻った。

「土俵の鬼」安らかに…花田勝治さん逝く

関係者によると、花田さんは昨年5月に体調を崩して入院。「若い頃に飲み過ぎたので肝臓をやってしまった」と周囲に漏らしていたという。

若乃花自宅に遺体、弟子にも大きな悲しみ

弟子ではないが、同じ杉並区に部屋を構える放駒理事長(元大関魁傑)も駆け付けた。約40分の滞在で花田さんに別れを告げ「本当に安らかな顔だった」と、しみじみと話した。

貴「歴史の象徴」、若「伯父のお陰」

貴乃花親方が平幕貴花田として初優勝した92年初場所は、当時二子山理事長だった花田氏が定年退職を控えた最後の場所でもあった。史上最年少の19歳5カ月で勝ち取った賜杯。厳格だった花田氏に手渡され、伯父の顔を見せた理事長に「鬼の目に涙」と言われた表彰式は、感動を呼んだ。

土俵の鬼 若乃花死す「稽古がすべて」

次男浩氏(50)によると、94年に胃がんを切除。その後も再発、再切除が続き、腎臓、食道にも転移した。昨年には肝臓にも悪性腫瘍(しゅよう)が判明した。朝の散歩が日課で頑丈だった足腰も衰えた。昨春、孫が出場するボートレース「早慶レガッタ」の観戦で、隅田川を訪れたのが、最後の遠出になった。

花田勝治氏が死去「土俵の鬼」初代若乃花、栃若時代築く

93年3月の定年退職後は相撲博物館長を務めていたが、96年9月に「二子山」の名跡売買問題に絡んで館長を辞任。その後は公の場に姿を見せることは少なく、昨年あたりからは体調を崩して入退院を繰り返していた。