青ヶ島の集落にある名所・史跡「金比羅神社」「神子の浦展望広場」「還往の碑」「佐々木卯之助の碑」「名主屋敷跡」と無番地について #青ヶ島旅行

青ヶ島の南側には、岡部地区という集落があります。切り立った崖の上にある広い土地で、学校、役場、図書館、郵便局、宿、居酒屋、商店などがあります。アップダウンが激しいところはありますが、歩いて移動は可能です。あちこち巡った集落にある名所・史跡を、まとめておきます!

金比羅神社

まさかこんなところに金比羅神社が、と思うような場所にあります。ヘリポートの奥です。もともと金比羅神社があり、後からヘリポートができたのだと思いますが。

青ヶ島の南側に位置しています。さらに南側には、牧場などがあります。

草が生い茂った道を「え、ここに?」というような場所に鳥居があり、そこを進んでいくと、金比羅神社はあります。

入口の鳥居。

さらに奥にも鳥居があります。

金比羅神社は改修が行われたそうで、コンクリート作りになっていました。青ヶ島の寺社仏閣巡りを検討している方は、見逃さないようにぜひ。

神子の浦展望広場

切り立った絶壁の上にある展望台です。下に何もありませんので(もちろん下の方に海はある)、とても見晴らしが良いです。

残念ながら訪れた日は曇りで見えませんでしたが、天気が良ければ青い海に八丈島がくっきりと見えるはずです。

下は崖、さらに下に海があり波が打ち寄せます。昔はここまで降りて、荷物の受け渡しをしていたのだとか。

天気がよければ、絶好の見晴らしポイントですね。

惜しくも八丈島は見えず!

駐車場のそばに、ロープの張られた道がありました。恐らく、ここから海に続く道があるのだと思いますが、かなり危険なのでしょう。

還往の碑

青ヶ島を語る際に忘れてならないのが「還往(かんじゅう)」です。1785年に天明の大噴火により青ヶ島島民が八丈島に避難し、50年後に島民が帰還したことを言います。詳しくは還住 – Wikipediaに綴られています。

その「還往」を記念した碑が「還往の碑」です。

天明の大噴火から50年後、八丈島から青ヶ島への還り住むことの先頭に立った名主・佐々木次郎太夫をモデルにしています。

佐々木卯之助の碑

江戸時代の飢饉の際に、幕府射撃場で耕作することを黙認し、流刑になった佐々木卯之助の記念碑です。

名主・佐々木次郎太夫屋敷跡

集落から歩くにはやや距離がありますが、岡部地区にある史跡の一つです。

既に屋敷はありませんが、石垣や巨大なソテツが残ります。

石垣も場所によって形状が違ったり、凝った作りになっていたことが分かります。

石垣にソテツが植わっているなど、屋敷もかなり大きかったのではないかと思われます。

青ヶ島無番地

青ヶ島には番地がありません。公的な住所は全て「青ヶ島村無番地」となります。Amazonで注文した商品の宛先も、島民はみな「青ヶ島村無番地」で、配達する人が名前を見て配達するのだとか。

ちなみに、Amazonの配送料金は都内と同じ扱いで、離島だから高いといったことはないそうです。青ヶ島の島民の、貴重なライフインフラになっています。

次の記事は「尾山展望公園」から青ヶ島のカルデラをぐるり周り見る。夜は天然のプラネタリウム、星空鑑賞スポットに!です。

【●】青ヶ島の旅行は【青ヶ島旅行】アクセス(ヘリ)・焼酎(青酎)・民宿・旅費についてという記事でまとめていますのでご覧ください!

「tokyo reporter 島旅&山旅」について

東京都の観光PR事業から招待頂き、東京都青ヶ島の取材をしています。

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